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平和教育セミナー2013 核時代に日本国憲法を考える~ヒューマニズムの視点から~

セミナーの内容とご参加者の感想を掲載しました。

セミナーの内容
ご参加者の感想 (匿名:抜粋)
~Aさんからの感想~
 フォーラム後、日本国憲法を全文(前文から第百三条まで)改めて読みました。 私たちが、今をより良く生きることのできることは、この憲法があるからなのだと改めて想いました。<> 日本国憲法を純粋に真っ直ぐに読むと、先人達の苦悩と平和への追求が感じられます。 前文の「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」には、人類の誓いの言葉に感じてなりませんでした。 ヒューマニズムの追求は、人類の幸福と平和への追求なのだと思いました。 憲法解釈を政治や経済等(時代の横軸)それぞれの立場で解釈されがちであり、その場、その時代には、公益となりうる可能性を秘める?ものかもしれない。 しかし、日本国憲法の理念から純粋に思考し追求して行けば、そこからは自ずと人類と歴史の公益(時代の縦軸)が見えてくるのだと思います。 私は、私の立場で、今できることから「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」姿でありたいと改めて想いました。
自分のことを見つめ直す、良い機会を与えていただき、ありがとうございました。
~Bさんからの感想~
  今回セミナーには初めて参加させていただきましたが、短い時間であったにも関わらず、非常に濃密な体感でした。原発、核、憲法、どれも日々漠然と身近にあり、考えていることです。「身近」という言い方は、例えば原発で働いている人や、福島に暮らす人からしたら、「そんなんで『身近』なんて言ってもらったら困る」と思われるかもしれません。<> でも3.11以来、それ以前に比べれば確実に、まず「原発」、そこから「核」、「憲法」という、少なくとも言葉だけは、私の身近に増えました。それまではあまり見えないところに置かれていたそれらが、自分の生活する視野の中に入ってきました。入ってきてそして、どうしたらよいのか分からない、というのが今の日々です。
「どうしたらよいのか分からない」と言いつつもそのまま、私は言葉があることにあっという間に慣れ、ニュースに触れては問題を「自分なり」に、漠然と考えるという状態に落ち着いていました。
その落ち着きに、セミナーでの言葉の熱量は揺さぶりをかけてきました。
「自分なり」という言葉は、実際に何かが生じている場所から、なんと遠いのか。
セミナーでのお話には、原発、核、憲法の問題を抽象的な観念のまま放っておくのではなく、私たち一人一人の生活と直結した具体的な存在として掴もうとする、筋力を感じました。
 たぶん私は、自己中心的だし、気をつけていても色んなことにまたすぐ慣れてしまいます。それでも、今日動かされた部分を大事にしたい、慣れてしまったらまた新しく揺すぶられたい、と思いました。
~Cさんからの感想~
  まず会場へ入ってかんじたこと、私のような高齢者もいるが若い方々も多くみえられて、どのような期待をして学習しようと参加された方なのだろうと思いました。<>  映像での説明は大変よく準備されヒュウーマニズムの説明も含めて、今考えるべき憲法のこと、原発の話も納得できることでした。セミナーに参加して憲法を守りたい方々は、一人でも多く九条の会を自分たちで立ち上げたり、各地域での活動に参加して欲しいなお思っています。今、一人一人が主權者として声を出していかないと憲法はますます大変危険な状況になって行くようにかんじます。このことから考えると会場へ聞きにきて学習された方々が、聞きっぱなしではなく「自分は何がやれるのか?」「何をやればいいにか?」考えてもらえるようになるといいのだがなあ、と考えながら聞きました。NPOのセミナーはこのヒントを与えてくれたように思います。今後に期待しております。
~Dさんからの感想~
  理事長の基調講演、続くプレゼンテーションを拝聴し、今年のセミナーが最もメッセージ性が強く、貴フォーラムの理念が前面に出ていたとの印象を持ちました。<> 貴フォーラムが標榜される「ヒューマニズム」を、史実や報道を通した多くの客観的な情報を通し、明快に示していただきました。その中でも特に印象に残った部分を3点、述べさせていただきたいと思います。
 まず1点目が、「核」と「原子力」という権力者が用いる詭弁についてです。政治的なキャンペーン等を通し、不都合を隠して民衆を欺く構図には、憤りを覚えるばかりです。「no 原発, no 核兵器」とも言える事実を知らない私たち民衆が賢くならねばいけないとの指摘を受けたように感じました。
  2点目は、1点目から続いてくるところでもありますが、「抑止論」という抑止の利かない方法で世界を安定しようという考え方についてです。そもそも、こと核兵器で言えば、この抑止論はハードパワーを持つものが持たざる者を抑圧する構図であり、持続可能なものではないと、お話を通して痛感しました。大国の与党幹事長という要職にある石破氏のインタビューの内容も、「いつでも核兵器を作れる状況にしておく」ことが抑止論だというものでした。ハードパワーでなく、ソフトパワーの次元から取り組む視点の重要性を教えられています。前回、前々回に続きこのセミナーで教えられたことですが、「技術的にも理性的にも、人間にはコントロールしきれない」核を、「抑止論」などという一言でバランスできるはずがないということです。
 そして3点目が、今回のセミナーのテーマとして掲げられている日本国憲法を通し提示された、宇宙船地球号の乗員であり地球市民たる我々が守り広めるべき、3つの柱から成るヒューマニズムという思想についてです。恥ずかしながら、私は今年初めて小学館の「日本国憲法」を購入し、自国の憲法を読みました。(全編ではありませんが) 世の中では「押し付けられた憲法」と言われているようですが、読んでみた率直な感想は、「良いこと書いてあるじゃん」というものでした。お話の中で集団的自衛権の解釈に関する政治の動きを取り上げられていましたが、「単純に良いこと」というのは、一方で権力者にとって往々にして扱いづらく厄介なものになり得るのだと感じました。憲法研究会の草案のお話もありましたが、自信を持って保持、発信すべき憲法であり、さらに「3本の柱」という憲法に新たな価値を与える素晴らしい解釈を教わり、感動いたしました。この視座を踏まえて本文を読んだ時、日本国憲法が非常に瑞々しいものに感じられます。
 最後に、今年もセミナーに参加させていただいたことに心から感謝申し上げます。年に一度、家族と共に考え、話し合う機会を与えていただけるこのセミナーはとても貴重なものとなっております。来年も、楽しみにしております!
~Eさんからの感想~
  今回のセミナー『核時代に日本国憲法を考える』は率直に私にとってはかなり難しい
内容でした。自分なりに理解を深め今後の自分の行動が変えられるように、勉強不足を真摯に受け止めてひとつひとつ学んでいきます。<> どんな感想を書こうかと考えていたら、ここ最近気になっていた言葉があったのを思い返しました。安部首相のスピーチの中の言葉『under control』です。オリンピックを東京に招致するために渾身の力を込めて?発言されたのだろうと思いますが、人間が完璧にunder control できるものなど何も無いという事を謙虚に冷静に見つめることがまず大切なのではないかと今感じています。そう感じた理由のひとつは放射能の特性からです。色もにおいも無いが厳然と影響力を発揮し、何万年もその影響が続くものもあるという。(正確な記述ではなくすみません。)今は2013年ですが、1945年の被爆の影響がまだある事実(肥田先生の著書にも書いてあった事実のことです。)やセミナーでもお話いただきましたが、チェルノブイリの事故のその後の事実も同様です。福島の現状も報道等で入手できる範囲の情報からの推測になりますが、いずれもコントロールとはかけはなれていること。放射能を完璧にコントロールできる能力は今の人類には無いと思います。。
 もうひとつの理由は、自分自身の心を完全にコントロールして常に生きることなど私には到底できないという事実からです。私だけがこの世で自分の心をコントロールできないのならまだいいのですが、日々新聞を読んでいれば、心をコントロールできなかった事例にあふれていて、そん
なことはないことに普通に気付けます。また、ヒューマニズムは人間が人間に対する根本的な態度だとセミナーのなかでお話がありましたが、その中でいかなる目的のためにも暴力という手段を用いてはならないとのお話を聴いて、目的のために暴力という手段を選んでいないと胸を張って言い切ることが私はできないと痛感しました。
 人間の心も放射能も常に安定してコントロールできるような単純な存在ではないという事実をまずは知り、謙虚に受け止めることがこの時代(核時代)に生きていくうえでとても大切なことだ
ということを感じています。簡単にコントロールなどできないことやものだらけのこの世界で、少しでも平和に幸福に生きていくためにヒューマニズムの本質的な考えにコントロールされるように自分の心と向き合って生きていきたい。そのために具体的にどうしたらいいのか?答えはわかりません。だからこそ、そこに近づいていく努力を怠らない自分になっていきたいと思いました。(まずは職場で挑戦が必要ですね。)日本国憲法についても同じように考えることができるように思います。自分の心を少しでも幸福や平和の方向にコントロールする力=ヒューマニズムだとしたら、少しでも平和にすべく国家権力をコントロールする力=ヒューマニズムに裏付けられた日本国憲法となります。ヒューマニズムという視点で憲法を見つめるということが私自身は初めての経験だったため、セミナーに参加させていただきこのようなことに気付くことができました。このような視点で見つめてみると、憲法が私自身にとって以前より遠い存在ではなくなったように思います。ただ言うは易し行うは難しではありませんが、感じたことを自分の身近で現実とするには?がまだわかりません。まだまだ理解不足の点が多く、とりとめのない内容となってしまいましたが、私の感想は以上です。
~Fさんからの感想~
  平和教育セミナー2013「核時代に日本国憲法を考える」に参加させていただきました。現在政権化で行われようとしている憲法改正の問題から核兵器と原発の関係など、ヒューマニズムの視点を通して幅広く、分かりやすい解説をしていただき、こういった問題を改めて考えるきっかけを得るよい機会になったと思います。<> 「ヒューマニズム」とは、ということについて、今回のセミナーでもまず言及がされていました。いわゆる「人道主義」のことですが、普段それほど意識することの無い言葉でもあったので、改めてどういったものかという定義付けがあったことが後の解説を聞く上で助けとなりました。
「人間生命の尊厳と平等を守る」「自他共の幸福を目指す」「非暴力の実践」。これらの上に立った基本的な人間としての態度は今回のような問題と向き合う上で大切な姿勢であると感じました。「ヒューマニズム」というと大げさですが、こうして定義付けて見ればこのような視点は特別なことではなく、人間が人間らしく生活をする上で当たり前のように持っていたいと思う感覚であり、態度です。「生活」をする全ての人間の基本となる態度だと思います。ですからこの視点を通して見た時に見えてくる多くの矛盾や違和感に生活者としてもっと敏感にならなくてはと感じました。
 例えば現在の安倍政権の9条・96条改正の動き。自民党の改憲草案について。本来の日本国憲法制定時の精神は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」にあるとあると考えていますが、この現在の憲法改正の動きは「国民主権」は「国家主権」に、「平和主義」はその名を借りアメリカの軍事を手助けするための「エセ平和主義」に、「基本的人権の尊重」は国から与えられた人権にすり替わり言論の自由が奪われる「基本的人権の剥奪」になる可能性を抱えているということ。それはヒューマニズムの視点から見れば改正ではなく、改悪の動きであるということは明白ですし、生活者としても、これからの日本で産まれる子供の未来から自由を奪うことは、避けるべき大事なことであると思います。そういったことがなかなか世の中に露見してこないところが、また考えが経済優先で「そんなことにはならないだろう」という楽観主義的な空気が世の中に流れていることが真に恐ろしいと思っています。なんとなく、いつの間にか、日本も、社会も変わっていくような感覚があります。しかもそれが一部の権力者の都合で変わっていく気配を感じています。
 最近ではもうなかなかニュースでも取り上げられなくなり、世間的には「収束」のムードが漂っている福島第一原発の問題も本当は未だ現在進行形の出来事であり、インターネットで調べればいくらでもよくない情報を得る事ができます(全てが本当かどうかはわかりませんが少なくとも情報の一つとして得ることができます)。先日たまたま福島第一原発で作業員として働いた方の2年に渡る現場の記録を見つけ、その現場のずさんな管理システムに辟易しました。ヒューマニズムの視点から考えれば今最も「人道主義」を発揮して作業が行われるべき場所で、作業員は使い捨てられ、福島の住民は「安全」だという言葉を信じさせられ、東電が会社として生き残るための手助けをさせられている。汚染水の流出問題がニュースにも取り上げられましたが、現場から言わせれば起きるべくして起こっている事故で、本当はもっと私達の見えないところでたくさんの事故が起きているそうです。でも不幸なことに放射能は色も、匂いもありません。直ちに健康被害もないので、「知らないふり」はできてしまいます。本当に目に見えて影響が出るのはチェルノブイリを参考にするなら五年後だそうです。
 チェルノブイリの事故が起きた1986年から五年後の1991年、隣国のベラルーシで小児甲状腺ガンの発生率が0.9%から一気に26%に跳ね上がったという事実があります。しかもそれはその翌年もさらにその翌年も変わらず数字は跳ね上がり続けたそうです。放射能は遺伝子を破壊するので被曝した本人だけでなく子供も影響を受け、さらにその子供も影響を受けるという、まさに地獄の連鎖を産むことになります。そういった歴史や記録があってなお、チェルノブイリ以上の事故を起こした日本が現在このように「収束」「復興」ムードに浸っている現状に違和感を感じています。ヒューマニズムの視点で見るならば、これから産まれてくる子供や未来のために、経済優先ではなく事実や現状の正確な情報公開と警鐘こそが必要なのではと感じています。
事故から五年後、2016年になって、その時に日本がどのような姿になっているのか、その時になれば嫌でも目を背けられない現実が表れていると思っています。将来どんな現実が襲ってきても、その時どう生きるのか、それを選び取るのは私達生活者であるはずです。生活者として、ヒューマニズムの視点を通してどう社会と関わっていくべきなのか、そういうことをよりいっそう考えていくことが大事な時代になってきたと感じています。
~Gさんからの感想~
 『日本はどうして核兵器を持たないのか、それは日本国憲法が平和憲法ともいわれているとおり日本の理念は平和主義で成り立っているから。 みなで争いごと(戦争)のない平和な国にしていきましょうね。』とか何とか、わたしが確か小学校高学年生だった頃「道徳」の授業で担任の先生が話されていた時のコトバを思い出しながら今回セミナーに参加して居りました。<> あの時に先生が話してくれたコトバは決して間違ったことではなかったけれど、そのコトバの表面だけでなく前に後ろに裏に在るモノを見ようと自らが思いなおさなければならなかったことに大人になってから気づくこととなったのです。教育の場で教えてくれるのは橋渡しまでで、
何だって自らが興味を持って学ぼうとしなければ何も学習することはできません。原発がなければ核兵器は作れない』ということ。
 海外では核兵器保有とも言われるべく原発が日本では54基も存在しているという事実に気づいた時、その時同時にショックだったのは原発というのは事故が起きていない平時であっても大量に冷却水を使い、そこに放射性物質が混じっているのにどんどん海に捨てられているということでした。もちろん大気にも放射性物質は放出されている、それは微量だから問題ないなどと言われても海水浴が楽しみだなんて心底感じ得ることは叶わない。核のゴミと言われる放射性廃棄物の処分のしようがないということ、つまりは事故が起きようが起きまいが原発がある限り人類の被ばく問題は避けられないということ。日本は核を作ろうと思えば今すぐにでも3千発くらい簡単に作れてしまう、これのどこか平和憲法と言えよう。さらには福島原発事故が起きて間もなく、事故収拾のために現場の最前線で働く原発作業員の方々が日々大量の被ばくをされていることを考えざるを得ない。「失うものがなにもない」と言われている彼ら(ホームレスなど)に放射線数値の最も高い現場へと大量に派遣させ、日々大量の被ばくをされていることで現に大勢の方が亡くなっている事実。作業員だけではない、公に発表されていないだけで現場付近で労働していた自衛隊員も警官にも大勢の死者が出ている。こうした「違反雇用」「過酷労働」によって尊い命が奪われている現状、これは立派な戦争だとわたしは思う。
 人が被ばくし続けないでは維持できない核兵器や原発と、人類が共存することなどとてもできません。それが平気になってしまっては、人として何か大切なものを失い続けていくだけな気がします。人間がにんげんらしく平和に生きていくためには、 核兵器廃絶と原発ゼロしか選択はあり得ないとわたしは考えます。過ちを繰り返す愚かで無力なにんげんたちが築いてしまった核時代の今を生きる私たちにできることは何か、かろうじて持ち合わせているはずの『これ以上繰り返さないために学ぼうとすること』その知恵を結集して、愚かさからその外へと一歩一歩踏み出していくだけです。このようなことを改めて考え見つめなおす機会となるセミナーとなりました、ありがとうございました。
~Hさんからの感想~
 憲法のお話が大変分かり易く、良く理解できました。これまで憲法のことなど考えないし、知ろうともしなかったことを反省しました。「学校で、セミナーの様な内容の授業してくれれば、子供の時から憲法や政治に興味を持てるようになるのに。」と強く思いました。
~Iさんからの感想~
 人間一人の生命は地球より重い”というヒューマニズムの視点を、自覚的かつ反省的に打ち出していることが印象的でした。国際関係や安全保障、平和といったテーマを語るうえでは、一般的で(安易)な〈ヒューマニズム〉がお約束事のように提示されがちだと思います。そんななか、生命や人間に対する敬意に満ちた言語観を、説得力を持って語っている今回のような講演に参加できたことは、とても貴重な体験でした。 また、限られた時間のなかで、『核時代』ということの具体的な知識・内容、さらには日本国憲法に込められた“人間の安全保障”を歴史的に概説していただき、ジャーナリズムや国政的な知識に対し、ますます自覚的に批判・検討しなければと思いました。そうして、メディアや一部の学者が提供する情報に対し、日常からヒューマニズムを鍵に読み解くことで、この時代に対する認識が深まっていくのだろうと考えました。今回も貴重な経験をさせて頂き、誠にありがとうございました。
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