ご参加者の感想 (匿名:抜粋)
~Aさんからの感想~
率直な感想は、「有意義な1時間」でした。ありがとうございました。
個別にテーマを設けて紹介し、映像の編集と説明により1つ1つのテーマは大変解りやすくなっていました。
その上で、私が知らなかったことを知ったことが、有意義な理由です。
1.9条のノーベル賞候補
2.マララさん国連スピーチ
3.石破茂「核抑止力発言」
その他の事はおおよそ、理解している事柄でした。
マララさん国連スピーチの映像に人物等を差し込み、より解りやすく編集している等
見る側に配慮してると思いました。
自民党の目指す憲法は2年ほど前に全文を読んでいますので、「これはやばいな」
という感覚は持っていました。
~Bさんからの感想~
セミナーにご招待いただきありがとうございました。感想等を記述させていただきます。
昨年のセミナー後、日本国憲法の全文を読み返し、前文に書かれている内容の崇高さと、理念に感動を改めて受けました。
その後、政治、経済、教育という視点の大きなくくりで、日本国憲法の目指す社会に向け歩んでいるのか?ということ思いを巡らせました。また、日本国憲前文の崇高さと、理念はどこからくるのかを考え、自論を構築していました。
今年度のセミナーは私の漠然とした思考を明確に裏付けする一部になりました。日本国憲法を正面を向いて、何に向かっているかを見れば明確であります。人類史上、常に人々の願いは「平和と幸せ」でありました。子どもを育てる(家族・仕事)私の立場からの思いは「一人ひとりが幸せである未来を創る子どもを育てる」であります。この、一点から、すべてが始まります。日本国憲法は、人類史上もっとも多くの殺戮が行われた戦争の苦しみの中から「平和と未来への希望」の願いをもってつくられた憲法であると思っています。立法当時の政治的、経済的、心情的な様々な要素があったにしても、根底は苦しみの中から、「平和と未来への希望」を望んだ時代に生まれたものだからこそ、人類的に価値のある憲法だと思っています。
ゆえに、いかなる政治的理由や欲望、時代的背景があろうとも、真っ直ぐにシンプルに見つめれば、何をどのように歩めばよかおのずと見えてきます。時代を超えシンプルに見つめれば、先人たちの歴史上の人々の願いの延長がみえてきます。その、思いや願いをそれぞれの人が受けつぎ「平和と幸せ」にむけ力を合わせ生きていくことが大切なのです。
ただ、手段と方法を間違えないように、
目先の経済的理由や心情に迷わないように、
原点に対し、シンプルにまっすぐであるように、
未来の平和と幸せへ向けた直線の延長上であるように、
その自身がその延長上の点の集合体の線になるように、していくことが大切だと思っています。
~Cさんからの感想~
先日は平和教育セミナーに参加させていただき、どうもありがとうございました。
基本的人権を守るというとてもシンプルな考え方を基礎に成立している日本国憲法も難しく複雑にしようとしているなんとも言えない力の影響で、最近随分揺らいでいる現実があることを改めて感じました。集団的自衛権についての世論調査の結果もセミナー内で触れられていましたが、以外と賛否に差がないんだなあと思ったこともその一例かと思います。
また、現代=核時代では、防衛という概念が普通に通用しないこともセミナー内で教えていただきましたが、冷静に考えれば非常にシンプルで誰でもわかることかと思いますが、世の中は違う方向になんとなく動いていってしまう現実になんとも言えない、うまく表現できない怖さを感じました。日本国憲法を大切に、9条を大切にと言っている人のほうが時代遅れのような感覚。。。
そんな状況なので真剣に考えることが面倒になり、つい自分の日々の生活しか関心を持たなくなりがちな自分にも気付きました。
ヒューマニズム憲章を改めて読ませていただき、時代がどうだとか周囲がどうだとかではなく、ぶれない自分の行動を一歩一歩行っていきたいと思いました。毎日ヒューマニズム憲章に触れ、シンプルに考え、シンプルに行動を起こしていきます。現実の生活の中で日々出合う人に心を開いて語り合うことを自分に課していきます。
~Dさんからの感想~
日本国憲法の誕生の経緯を踏まえ、歴史的背景・経過を抑えたうえで、憲法は権力者が守るべき義務である事、その目的は国民の自由(人権)を守る事を確認し立憲主義をあらためて勉強させて頂きました。また、日本国憲法第九条の戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認の三つの要素の国防権力の制限と国民の平和的生存権の平和主義の関連性をお話し下さいましたので、市井の市民、国民が主人公であり権利を持っていることが分かりやすく理解できました。
後半の自民党の憲法草案を引かれ現在の与党が国家が主人公の憲法を考えており、そのことは近年の特定秘密保護法案、武器輸出三原則の緩和、集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲の流れは、とかく安部首相が「国民の生命と財産」を守る主張しているが「国家の生命と財産」を守るとますます聞こえてきましたし、核兵器の現状配備の現状とその威力を教えていただきましたが、与党の国家防衛の主張が抑止力にあるにせよ、その前提が意味がないと思いを強くいたしました。
ヒューマニズムの視点からのお話では核時代における現代において人類共有の規範、行動規範として人間が人間に対する根本的態度のお話はとても共感いたしました。人間と神もしくは仏様ではなく、人間と人間というところに普遍性と感じます。
~Eさんからの感想~
昨年のセミナーでは、日本国憲法を通し提示された、宇宙船地球号の乗員であり地球市民たる我々が守り広めるべきヒューマニズムという思想、理念について学ばせていただきました。非常に多くの“考えるきっかけ”を発信いただいたセミナーであったと感じております。一方、今年は結論の部分でもう一歩踏み込み、「ヒューマニズム憲章」という具体的な“行動規範”を表明されました。貴会が一貫して主張してこられた、ヒューマニズムの視座に立った“人間の人間に対する根本的態度”を明確な形で提示いただいた、非常に印象深いセミナーとなりました。
なお、敢えて意見を申し上げさせていただくとすれば、前回、前々回と比較して身近な話題が少なかったため、若干堅い内容に感じた点を挙げさせていただきたいと思います。テーマ性による部分が大きいとは思いますが、実生活のレベルに落とし込んだ例があまりなかったため、自分の事として迫ってくるような感覚は比較的少なかったように感じました。また、憲法改正(改悪)に向けた政治的な動きに関する分析については、もう少し客観的な評価があるとより深い理解が得られたのではないかと感じました。例えば、集団的自衛権の行使に係る解釈変更については、一般紙各紙でかなり異なった主張がなされておりました。朝日新聞が戦争国家へ変貌していくことを大きく危惧していたのに対し、読売、産経の両紙は自立した国家への出発として好意的に捉えておりました。思想的背景が異なるにせよ、世論として一定の支持を得ている、相対する論調も取り上げた上で、さらに論破するステップがあればより納得度も高まったのではないかと感じます。
ますます混迷する世界情勢の中で、ある角度から見れば戦闘を放棄し、守られる立場に居座ることは“無責任”に映る場合もあると思います。しかしながら、立憲平和主義に基づく奇跡的とも言える憲法を有する国として、この主義をあくまで貫き通すことにこそ“責任”があるのではないでしょうか。抑止力の名のもとに不気味な武装を施すことよりも、ソフトパワーによって平和主義を守り広めゆくことが唯一の被爆国であるこの国の使命ではないかと強く感じました。さらに、主権在民であるならば、それは国を形作る私たち一人ひとりが「人間を尊敬する」、言い換えれば「自分を、相手を信じ切る」根本精神を堅持できるか否かにかかっている。これは今回のセミナー、そして「ヒューマニズム憲章」から私なりに学ばせていただいたことです。
「ヒューマニズム憲章」はすぐに手に取れるところに保管しましたので、今後は事あるごとに読み返して参りたいと思います。最後に、今年も本当に有意義な機会を与えていただき、心から感謝申し上げます。大変にありがとうございました。
~共に参加したメンバーより~
平易な言葉で説明されていたので、とても理解しやすい内容でした。写真がとても訴えかけるものがありましたが、繰り返し使われていたものが見受けられたため使うところを絞るとより効果的かと感じました。(30歳 男性)
普段、なかなかこういった機会がなく、新鮮な気持ちで参加させていただきました。セミナーの内容については学ぶことばかりで、自身の日々の生活や活動に大きく繋がりを感じました。今日学んだことを様々な場面で意識し、活かしていければと思います。また機会があればぜひ参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。(33歳 男性)
~Fさんからの感想~
平和教育セミナーに参加(今回で4回目)させて頂き、ありがとうございました。「日本国憲法と立憲平和主義」とのテーマから難解なイメージをもちましたが、できるだけわかりやすく伝えようとする気持ちをパワーポイントなどの資料から感じました。
①時間の長さについて
開会前に司会から1時間30分の予定であるとの案内があり、「話を聞くだけではしんどいな」と思っていました。実際は、1時間10分程であったと思います。映像も何点かあり、また、聞きやすい説明で、時間的長さは感じませんでした。毎回思いますが、講師の方の話し方、声の大きさ、スピードが非常に聞き取りやすいです。こちらも考えながら聞くことができる早さです。
②内容について
「憲法は国民が守るべき義務か、権力者が守るべき義務か」との問いにハッとしました。何のためかを考えたとき、この正反対の問いの意味が明らかになります。そもそも憲法とは、国家権力や権力者に歯止めをかけ、国民を守るためにあることを改めて認識させられました。(これを立憲主義ということも。)日常でも形式に陥り、本末転倒してしまっていることがよくあります。「何のため」との問いは自分を見つめなおす、大切な視点であると実感しました。
そして、地球市民として平和への行動を起こすための理念と規範を定めた「ヒューマニズム憲章」にこのフォーラムの全てが込められていると感じます。10代の少年少女が理解できる内容としていることが重要だと思います。難しい言葉の羅列ではなく、みんなが自分の足元から平和を意識していくことが第1歩であると思います。
子供と話をする中で、「いじめはだめだ。みんなと仲良くしなさい」というのは簡単ですが、他の人がいじめにあっていた時、どう行動するのが正解なのか、みんなと仲良くするために人のためにどうしてあげるのが正解なのかは、なかなか答えが難しく、子供の問いかけに困ることがあります。でも、一緒になって考えることが大切だと思っています。
③今後、セミナーへの要望
体験に勝るものはないと思います。テーマに沿った課題を、様々な分野で研究されている方、世界で体験された方から、お話を聞く機会があればと思います。
~Gさんからの感想~
世界中には、沢山の核兵器があり、核実験が行われてしまっています。その現状をどれくらいの人が知っているのでしょうか?自分だけの幸福を追うのではなく、世界中の人々を思い合える国になっていかなければいけないと思います。
私個人では、何もできないのですが、まずは、地域に目を向けていきたいと思います。何が正しくて、正しくないかは、人それぞれで難しいけれど、ただお互いを理解しようとし、尊く思えれば、争い合う理由は、なくなるのではないかと思いました。
今も世界で多くの場所で、戦争が起こり、子供と女性etcの弱い立場の人たちが被害を受け、苦しめられている現実があります。私たちは、世界平和を願うばかりではなく、その傷ついている人たちを思い行動するべきだと思います。今回参加して、改めて、憲法、世界に対して考える機会が出来ました。
~Hさんからの感想~
戦後の日本は、多くの尊い命を落とし、今も人々は、心にその傷を負い生きています。日本国は、その背景を踏まえ、日本国憲法を制定しました。その中でも、戦争の放棄と軍備及び交戦権を否認と定めた第9条は、日本国民の想いを憲法にしたといっても過言ではないと思います。制定されてからおよそ70年間、改定される事のないまま日本国民は、保持してきました。これに対して、世界が注目し、ノーベル平和賞の有力候補に上がった事を知り、とってもびっくりし、とっても嬉しかったです。
しかし、反面、自民党の改憲草案を聞いて、愕然としました。日本はあれだけ傷ついて、何を学んだのか、あの悲しみを忘れてしまったのか、戦後、私たちは、誓ったはずです。もう二度とこんな過ちを犯さないと。戦争では、何も守れません。戦争で傷つき、大切な人を失い、憎しみを生み、何も知らない相手を国を恨み、人が人を傷つけて、負のスパイラルからは、抜け出せません。私たちは、声を上げて第9条守り続けなければいけないと思いました。日本国民は、第9条を誇りに思い、強く世界に平和を訴える必要があると。
又、マララさんのスピーチを聞いて、とても感動しました。全ての世界、地域には、さまざまな人種の人や考え方、あらゆる宗教があって、この世界は、成り立ち、発展してきました。私は、全てを1つには出来ないし、する必要すらないと思います。何が正しくて、正しくないかは、人それぞれで難しいけれど、ただお互いを理解しようとし、尊く思えれば、争い合う理由は、なくなるのではないかと思いました。
今も世界で多くの場所で、戦争が起こり、子供と女性etcの弱い立場の人たちが被害を受け、苦しめられている現実があります。私たちは、世界平和を願うばかりではなく、その傷ついている人たちを思い行動するべきだと思います。今回参加して、改めて、憲法、世界に対して考える機会が出来ました。
~Iさんからの感想~
私がこうしてレビューを書いているいまも、じぶん達が勝手に遠くしているすぐそこの国では激しい戦闘が続いており、罪のない多くの人々が傷つけられ、殺されている。 核時代の今を生きている私たちは、核兵器を持つ者(国)はいつでもそれを使えるのだという事実を決して見失ってはいけない。愚かなにんげんの臆病な心をはっきりと映し出している『核兵器』。それは遠く遠い離れた場所から夢を破壊する醜く悲しい装置であり、地球市民も軍人も男性も女性も幼児も老人も関係なく無差別に大量の殺人を行うと脅迫するモノだからです。
そんな核兵器を生産し、保有し、実験し、脅迫し、使用することを誇ることなどできるわけがありません。21世紀における地球市民としての私たちの責任は、守るべきモノを守るために必要なき核を手放すことであり、戦争を廃絶することです。自分たちの過去が私たちの未来にならないようにと、広島長崎の預言者たちは声の限り叫んでいます。私たち人類の未来がまさに核兵器と戦争の廃絶における、小鳥たちが朝の歓びを歌い、私たちが人を愛する喜びを詠う日にかかっているかのように行動しなければなりません。
ヒューマニズム憲章です。
極めて難しく見通しは暗いのかもしれません、それでも夢に見た明るい平和を信じてほんの勇気を持って行動しなければ未来は動きません。ヒューマニズム憲章が存在する世界と、存在しない世界の未来は大きく違うはずです。闇に包まれようとしている世界を変えようとする勇気を奮い起こすためのかすかな希望こそが、ヒューマニズム憲章にあるとわたしは思います。
今回のセミナーでこのヒューマニズム憲章をキャッチすることができ、じぶんが実践したかったはずの理念と行動がくっきりと明確になったように思い少なくとも私一人の明日は明るくなるかもしれないと希望を感じることができました。どうかこの想いが、この誓いがいまじぶんの隣にいるひと、隣にいるひとの隣にいるひとへと豊かに広がってゆくことを心から願っております。ありがとうございました…。
~Jさんからの感想~
今回のセミナーは日本国憲法の誕生の経緯から、立憲主義とは何かを学び、また9条に関しては、現自民党政権下で度々取り沙汰されている憲法改正の自民党草案がどれだけ9条の精神や基本的人権を無視した内容であるかなど、改めて気付かされることも多く、また総じてその土台となるヒューマニズムの視点を考えるよい機会となったと思います。
今回のセミナーではこのヒューマニズムの視点について、その基本的な精神や行動規範などを改めて見つめ直すことに多くの時間が割かれていたように感じました。
「人間生命の尊厳と平等を守る」
「自他共の幸福を目指す」
「非暴力の実践」
この3つの項目からなる人道的な態度を改めて確認できたと感じます。
生活の中で、家で、ふと物思いにふける時、この視点が頭を過ります。このヒューマニズムの視点と行動規範をより個人的なレベルで、日常の生活の中でどう行動として実践していくべきか、自分の中でどう収まりをつけていきたいのか、ぼうっと考えることが増えました。この視点や、行動規範は理念であり態度であり、生き方です。頭で理解するだけでなく腑に落ちなくては「モノ」にならない。それだけにこの「コトバ」を自分の血肉にすることに対する事の距離と「居方」「生き方」にまで落とし込むことの難しさもまた感じていました。
そんな時、高倉健さんの訃報をTVで知りました。そして特別番組が多く流され、生前の映像や演技を拝見する機会を持ちました。恥ずかしながら、私は高倉健さんについて多くを知りません。ご出演された作品も観ているのは数本で、しかもそれはもう何年も前のことでした。
しかしこうして多くの特別番組で高倉健さんの、生前のどんな人にも敬いの気持ちを持って接する人柄や仕事に対する真摯な態度、故人に寄せられる温かい言葉の映像などを観ていると、これは不思議なもので、会ってもいない故人になんとなく親しみを持って見ている自分を感じました。高倉健さんと言えば大スターです。多くの人から憧れを持たれる、遠い存在、また「少し恐い存在」と感じていたのですが、その素顔を(カメラに写っている姿を素顔と言うのは語弊があるかもしれませんが)見て、その奥のにじみ出る人柄を感じるにつれ、とてもまっとうで、誠実で、ある意味で生活人としての感覚を忘れない、愛情の深い人だなぁ、と感じ、そこに親しみを持ったのだと思います。
話を戻します。私はTVを通してこの高倉健さんの人柄の一面に触れ、はっとしました。先ほどまで考えていたヒューマニズムの視点と行動規範をどう自分の中に落とし込んでいけるか、のヒントを見た気がしたのです。「自分に課した哲学や規範を血肉にして実戦してそれが「生き方」となって滲み出て人に影響を与える」まさに自分の考えていたことを体現されている人がここにいる、そう感じたのでした。もちろんTV番組ですからこう見てほしいという演出があります。私の見て感じたものが正しいかどうかは分かりません。ただ、ここに納得できるヒントがあるように感じました。
高倉健さんは「思想」を語っていません。自身の理念を「生き方」で示している。そしてそれに多くの人が影響を受け広がっている(健さんを知らない私にまで届いている)。そんなことが起きていると感じました。これは生活のほんの小さな個人的な発見であり、「平和」のような大きな理想には届かない些細な事象ですが、ただ、ヒューマニズムの視点を考える上でとても大事な何かがここにあると感じています。
今回のセミナーを受けて、自分の中で産まれた発見や考えをどう昇華して実践していくのか、さらに模索して行きたいと考えています。
これも先日のことです。安倍首相が衆議院解散宣言を行い、TV番組の生出演でキャスターに意気込みを問われ、「過半数を取るために闘う」と答えていたのを見ました。もうこれが政治家のコメントとしては当たり前のようになってしまって簡単に聞き流してしまいそうになるのが恐いのですが、そもそも政治というのは過半数を取って自分の(自分の党の)意見を通すためにするものなのでしょうか?一国の総理がTV番組で使える貴重な時間を、国民ではなく相対する党に向けた言葉を吐くことに使ってしまうことに言いようのない失望を感じました。国民の代表である政治家こそ、「生き方」で示し人々に影響を与えてほしい。今回のセミナーは、そんなことを感じるきっかけとなった気がしています。