ご参加者の感想 (匿名:一部抜粋)
~Aさんからの感想~
「平和教育セミナー」名の通りでした。確か、ここ3年連続で参加させていただいているという認識ですがセミナーの内容に連続性があり、内容自体が毎年アップグレードしている様に感じています。
憲法の前文と憲法の関係は、誰人も侵すことのできない関係であり、その前文のもとに、憲法があるということを再認識しました。この前文をどういじったら、9条を改憲できるのか?「個人→人」等々、いつも思うが権力は民衆をバカにしているのだろうかと・・・賢明にそして聡明に、権力を監視しなければいけない時代になっていると深く認識します。
2部のセミナーでは、心理学からのアプローチに斬新さを覚えました。非常に納得できる内容であり、共感致しました。それは、私自身も10年前よりエリックバーンの心理学を勉強し応用して、会社経営の柱としているからです。カントとアインシュタインの往復書簡の事実も、内容についても驚きでした。ちょっと難しいと話されていましたが、一人一人の思いが集まり、文化となる。その文化を憲法に集約したという結論も、心理学の見地からは当たり前であり、当然の帰結だと思います。
憲法を変え、他国からの侵略に防衛できる国にしようと考えても、この国土に54基もの原子力発電所があれば、何の意味もなく、目的である国民を守る事は到底出来えず、絵空事に終わってしまうという事を納得できる解説でした。貴NPOが掲げる「他人の不幸の上に、自身の幸福を築かない」という考えが、生き方になり文化となるよう、微力ではありますが協力していきたいと思います。ありがとうございました。
~Bさんからの感想~
先日はセミナーに参加させていただき、ありがとうございました。私も人生の折り返し地点を過ぎて最近残りの人生をどう過ごしていこうかと考えることが増えてきていることを感じています。そんな人としてごくごく普通の行為も憲法第13条の存在があることが影響していることを今回のセミナーで感じたことのひとつでした。たとえば毎日のように報道されている難民・移民やシリアの人だったら、いかに生きるかなど考えることすら十分にできないという事を感じました。噛み砕いて、わかりやすくお話しいただいたこともあるかと思いますがそう言う意味でも憲法を改正することの緊急性も必要性もない事を改めて感じました。
そもそも主権者である国民がどうしても変えたいから変えようとなるのが私の感覚ではノーマルなのですが、この国はそうではないのが改めて認識出来ました。なぜそうなってしまうのかが、尽きない疑問です。私は、日中は会社で働いているだけで多くの人と同様に日常を過ごしていると思います。情報は大手マスコミとネットが主なものです。 複数のメディアに触れてはいますが、どれも大差は無いように感じています。それを踏まえて今回、セミナーで学んだことと日常に触れる情報と周囲の人の感覚が、なんとなくずれている違和感をうまく表現できないもどかしさが消えません。私にとっての普通が、普通ではないのかという目に見えない流れのようなものがあるように思います。地に足を着けて生きていくことが自分自身の軸で、それをぶらさない事を大切にしたいと思います。それができるのも、今の憲法の存在と結びついていることを意識していくことが大切だと思います。所属している集団(国家・企業等)に適正な冷静な距離感を持ち、独りよがりにならずに、自分の好きな人生を楽しみたい。純粋にそう願っているだけなのですが、それも汗を流して勝ち取るしかないのでしょうか。
そう考えると国家の枠組み、国家の存在を前提に考えていることがある意味限界があるようにも感じています。(全く無視して生きていけるとはもちろん思っていません。今回、様々考えるきっかけを頂き感謝しております。どうもありがとうございました。
~Cさんからの感想~
毎年貴NPOの平和教育セミナーに参加させていただき多くを学ばさせていただきまた、示唆、触発の気づきをいただき感謝いたします。ありがとうございます。私自身も、なぜこのような社会全体が右傾化というか、息苦しさ、生命軽視を感じる風潮に、そもそも人間とは何なのか?と考えておりましたので、憲法改正をとおしての、「今、憲法改正について考える」―ヒューマニズムの視点から―のセミナーは、今回も、示唆を頂戴し、学ばさせていただきました。
第一章では、日本国憲法と自民党憲法改正草案の比較にて、国民主権のご説明で、自民党のそれが、「国民」よりも「国家」を尊重。国民主権を大きく後退していること。平和主義のご説明で、「一人ひとりの個人にも平和を享受する権利があるという平和的生存権によって導かれる、個人に根ざした平和主義を否定。平和のうちに人間として存在することは最も基本的な人権であり、これを削除したことは国民の国防義務と関連。とのご説明にて、この草案作成者たちの、価値存在基盤が「個人」よりも「国家」という、人間の内面になく、外部にあるものに求めていることを改めて認識いたしました。人間の内発性より外発性を重んじる抽象化の精神は、どこに起因しているのか私個人は現在のところ、全体性・普遍性の生命感覚からの分離感が、欠乏感を生み、それを充足させることにあると思っております。また、分離感は、自我の存在価値を揺るがしますので、恐怖感をも生みだしているとも思っております。自民党草案の、現憲法前文の「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」を削除のご説明をうかがっているとき、この事を草案作成者は、理解できないことは当然として、必然的に無意識のうちに削除したのだろうと思いました。私は、一国の最高法規に、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」の前にある、「われらは、全世界の国民が」と、人類という普遍性を含んでいる現憲法の特異性を素晴らしいと思っております。
第二章のヒューマニズムの視点からでは、カントの「永遠平和のために」、アインシュタインとフロイトの「ひとはなぜ戦争をするのか」、柄谷行人の「憲法の無意識」とおして更に、学ばさせていただきました。フロイトの「生の欲動」生を統一し保存とする欲動と「死の欲動」破壊し殺害しようとする欲動は、考えてしましました。カントも確か著作の中で、利己心もしくは生存欲求があるため、究極的にその存在を脅かす戦争は回避するとの趣旨があったかと思いますが、その確証は何か。フロイトの戦争を防止する一つの方法として「死の欲動」に対抗する「生の欲動」を呼び覚ますこととありましたが、人体の細胞のアポトーシス的な、破壊もしくは死の位置付けが弱い気がしました。生と死、創造と破壊、調和と分裂は、二極性の対の相互規定の現象なのはわかります。また、理性、知性の俯瞰的視点を持つことにより、「正」「反」を止揚する「合」を生みだす全体の視座と、「死の欲動」の“殺”と“破壊”の区別は何か?と思いました。柄谷行人の「憲法の無意識」を、ご紹介していただきありがとうございました。9条は日本人の集団的な超自我であり「文化」とのご説明は、全体性からの分離感に対するヒントをいただきました。ありがとうございます。
~Dさんからの感想~
今回のセミナーを受講して感じたことは、日々の生活が忙しい中、日本国憲法の知識に久しぶりに接することが出来たという、何とも言えない充足感です。日本国憲法の三原則、国民主権、基本的人権の尊重、永久平和主義を学んだのは、中学生の時だったと記憶しています。
特に日本国憲法第9条における「戦争放棄」は、侵略戦争を放棄したにすぎず、自衛戦争は、放棄していないと自分なりに解釈していました。しかし、今回のセミナーを受講する中で、人間の平等性と言う観点から侵略戦争を放棄し、自衛戦争も放棄すると解釈することも善であると気付きました。先日、広島に行く機会があり、原爆ドームや資料館を見学しました。広島市の中心部に落ちた原爆がもたらした事は、人間の暮らしを奪い、生きる権利を否定したことと同じだと思います。放射線で焼きついた人影は、記憶から消えません。このようにニューヒューマニズム・フォーラム・ヨコハマの皆様の取り組みは、私達にとって、一石を投じるものです。今回参加することで、人間として、生きることの意味や命の大切さをあらためて考えることが出来ました。このような機会を与えて下さったことに感謝致します。
~Eさんからの感想~
子供たちも参加し、大変興味深くお話しを伺うことができたようです。世界的な時代の流れを俯瞰して現在日本で起こっている事象を分析された タイムリーなお話しや、アインシュタインとフロイトの逸話が強く印象に残ったとのことです。
第1章は、自民党の憲法草案が立憲主義に反して、いかに劣悪なものか、勉強させていただきました。正直申し上げますと、自民党草案を読んだことがありませんので、かなり驚きました。立憲主義に基づく現憲法では、①権力から国民を守る、②国民が主人公であり国ではない、③代わりが効かない個人を尊重、④平和理に生存する権利の保障が謳われているのに反し、自民党草案がこれらを否定するものだということが良く分かりました。デタラメだと痛感します。このような起草する人々が、権力の中枢にいるということに危機感を持って、私達はもっと認識しなければならないと感じます。おっしゃられた通り、改憲か護憲かという二元論ではなく、何のための憲法かとい憲法の本質に立ち返った議論をしなければ、立憲主義を否定する勢力に負けてしまうのではないかと心配です。立憲主義については、これまでに何度も勉強させていただきましたが、普段考えることがありませんので、妻いわく「立憲主義って何だったかな?」というところから、毎回学び直させてもらっているとのことです。年に1回の繰り返し学習で、少しずつ理解は進んでいるようです。変えてはならない部分は何なのか、良く理解して国民の間で憲法論議がされることが必要なのだとのお話しは、納得できました。
第2章では、カントの平和連盟構想について学ぶことができました。平和連盟に賛同する各国が軍事主権を連盟に譲渡するという考え方を始めて知りました。その結果、各国の常備軍を全廃すべきとカントが構想したことが、現在の国連につながっているとは知りませんでした。「一番肝心な条文は第13条」との樋口陽一東大名誉教授の言葉を教えていただきました。憲法の三大原理と言っても、根本はこの条文につきるということでしょうか。立憲主義の根本条文とも言えるのではないかと思いました。印象に残ったことは、フロイト、カント、樋口氏、柄谷氏等の言葉を引用し、現憲法の根本精神を説明しようとされた試みです。長男はこの説明のされ方に関心したようです。第13条の個人の尊重を根本として、3原則を実施し、第9条を実行することこそが、最も確実な平和への道であるとのご説明は、大変よく理解できました。もっと書きたいことがあるように思うのですが、甚だ簡単で恐縮です。毎年、憲法をしっかり考える場所を与えて下さり、心より感謝申し上げます。
~Fさんからの感想~
憲法改正について、賛成するひと、反対するひと、どちらとも意見できないひと、といる。わたしは正直なところ、憲法改正に対しての意見というよりは、その手前のような段階での個人的な想いがあって、それはわたしたちは「もう二度と戦争をしない、武器はもたない。」と決めたそれを貫き守ることこそが、日本人の誇りであるし平和のための根強いルールです。戦わない意気地なしなのではなく、暴力と武器という手段をもたない、というだけです。
しかし憲法9条を改正するということが、日本がいつ他国から攻撃を受けた時でも戦争に参加するということになるのであればルールを守れない憲法改正に対してわたしは『反対』ということになります。たとえどんな理由であれ戦争を起こしていい訳がありません。仮に日本が攻撃を受けたとしても、やられたらやり返すといった精神では同罪に過ぎない。傷を負うひとがより多くなる。憲法を改正して自衛隊が軍の役割を担うことになれば、わたしの家族や友だちが自衛隊員だったらと想像せざるをえないとすると、とても諸手を挙げて賛成とは言えません。もちろん憲法改正したからといって直ぐに戦争が始まるわけではないのかもしれなくとも、常に不安が付きまとうことになる生活や未来はもう平和ではなくなってしまう。そんな悲しい結果になってしまっては、これまでの70年以上守られてきた大切なものものがなかったものになってしまう。また自民党は憲法のことを「国民が守るルール」と定義付けながら、戦争を仕掛けないように見せかけて戦争を仕掛けるように改正し「憲法にはこういう事が書いてあるのだから国民はそれを守って行動しろ」などと後から言われかねない、それは国民である前にひとりの人間として自民党政権を信頼することなど出来るわけがありません。こうしている今もなお世界のあちこちでは戦争が行われているが、終戦してからこの戦争が行われて本当によかったと言える戦争はこれまでに存在したことはないはずです。罪のないひとが被害を受け、想像を計り知れない悲しい思いをしているひとが在るのです。世界中で武力を持たない。と、解決できる仕組みを作っていかないといつまでたっても悲しむひとが在り続けるのだから、わたしたちは被爆国としてこれからも戦争をしない国として世界を引っ張って平和を実現していく国であってほしいと心の底から願って止みません。
感想と言うよりは、個人的な意見表明になってしまいましたが今セミナーに参加して改めて学び、考えじぶんの意見を持つきっかけになりました。みなさまがつくられた『ヒューマニズム憲章』は自宅の冷蔵庫に貼ってあります、毎日眺めることでじぶんを見失わない意見を見つめなおす習慣ができたことにも感謝しております。ありがとうございました。これからもご一緒に平和を願ってゆきたいです。